母が70代から始めた終活|娘の私が「やってくれていてよかった」と思うこと

「終活」と聞くと、何を思い浮かべるでしょうか。

エンディングノートを書くこと。
お墓や葬儀について決めること。
財産を整理すること。

いろいろありますが私の母を見ていると、終活とはもっと日常の延長にあるものなのかもしれないと思います。

母は70歳くらいから、自分の身の回りのことを少しずつ整理するようになりました。
ただ、本人には「終活を始めた」という意識はあまりないようです。

もともと母は、自分が経験したことや大切なことをノートに記録する習慣がある人でした。
そこに年齢とともに、自分のお金のこと、病院のこと、もしものときの希望などが少しずつ加わっていきました。

高齢の親に何かあったとき、
「どこに何があるのか分からない」
「本人がどうしたかったのか分からない」
というのは、残された家族にとって大きな負担になります。
母の場合は、その多くを自分から整理し、伝えてくれています。

今回は、そんな母が70代頃から少しずつ進めてきたことと、それを娘として見て感じていることを書いてみたいと思います。

目次

母が自分のことを整理し始めたきっかけ

母が自分の身の回りを整理するようになった背景には、これまでの家族の経験が大きく影響しているのだと思います。

母は自分の親を見送り、その後の相続や実家の整理を経験しました。
さらに、叔母が高齢になって一人で生活することが難しくなってからは、亡くなるまでさまざまな形で叔母を支えてきました。
そして叔母が亡くなった後には、葬儀やその後の手続きも経験しています。

誰かが亡くなると、葬儀だけで終わるわけではありません。
家のこと、お墓のこと、銀行口座や財産のこと、さまざまな手続きが残ります。
実際に「残された側」を経験したからこそ、母の中にも何か思うところがあったのではないかと思っています。

母から「子どもたちに迷惑をかけないために終活をしている」と聞いたことはありません。
でも娘の私から見ると、自分が経験してきたことを踏まえて、「自分のことは、自分が分かるうちに整理しておこう」と自然に考えるようになったのではないでしょうか。

母が一冊のノートに書いていること

母には、昔からいろいろなことを記録しているノートがあります。
特別なエンディングノートではありません。
もともとは、自分が経験したことや忘れてはいけないことを書き留めるための普通のノートです。

今ではそれに加えて、

  • 預貯金や銀行口座
  • 証券口座
  • 保険
  • 年金
  • 不動産
  • 葬儀についての希望
  • お墓や納骨についての希望
  • 親族や知人の連絡先
  • 入院歴や服薬
  • スマートフォンやインターネット関係
  • 日常生活で忘れてはいけないこと
  • 墓じまいをしたときの記録
  • 実家を整理したときの記録
  • 相続に関する記録

など、母にとって大切なことがほとんど書かれています。

私が特にありがたいと思うのは、ノートを書いていることだけではありません。
「大切なことは、このノートに書いてある」と、私たち子どもに伝えてくれていることです。

どれだけ詳しく情報を残していても、その存在を家族が知らなければ、いざというときに見つけてもらえないかもしれません。

母の場合は、私たちきょうだい全員がノートの存在を知っています。
何かあったときには、まずそこを確認すればいい。
それだけでも、娘として感じる安心感は大きいです。

お金についても、なるべくシンプルに整理している

母は銀行口座などもできるだけシンプルになるよう整理したようです。
証券口座は一つ。保険も一つ。
銀行口座についても、必要以上に増やさないようにしています。

年齢を重ねると、自分自身が管理しやすいことも大切ですが、もし本人が管理できなくなったとき、家族が把握しやすいことも重要になります。

「どこに口座があるのか分からない」
「どんな保険に入っているのか分からない」
「証券口座がいくつもあって確認できない」

という状態より、できる範囲で整理されている方が、本人にとっても家族にとっても分かりやすいでしょう。

終活というと、不用品を捨てることを思い浮かべることもあります。
でも母を見ていると、物だけではなく、
お金の置き場所や契約をシンプルにすることも終活の一つなのだなと感じます。

母は家もお墓も、自分が元気なうちに整理した

母はこれまで、大きな整理をいくつか経験しています。まず、母自身の実家です。

親が亡くなったあとの実家の整理についても、母は実際に経験しています。

親が亡くなった後、家の中の物を整理し、不用品を処分し、最終的には実家を売却しました。
そしてその後、自分が暮らしていた一軒家も整理しました。
そこは私が育った家でもあります。
長く暮らした家の中には、それだけたくさんの物があります。
必要な物と不要な物を分け、処分し、家を売却。
その後、母はマンションへ住み替えました。

さらに、婚家のお墓についても墓じまいをして、改葬を済ませています。
家もお墓も、残された家族だけで整理しようとすると大きな負担になります。

母自身も親の家を整理した経験があるからこそ、自分が元気なうちにできることを少しずつ済ませているのかもしれません。

私自身、母が自分で判断でき、動けるうちに整理してくれたことは、とてもありがたいと感じています。

母が実際に進めた墓じまいについては、手続きや費用、やってみて分かったことをこちらの記事にまとめています。

葬儀や納骨についても、母から話してくれる

親が亡くなったあとのことは、子どもからはなかなか聞きにくいものです。

「お葬式はどうしたい?」
「お墓はどうする?」
「もし何かあったらどうしてほしい?」

まだ元気に暮らしている親に、こちらからこんな話をすることに抵抗がある人も多いのではないでしょうか。

母の場合は、ありがたいことに、そのような話もすべて自分からしてくれます。

葬儀についてどうしてほしいか。
納骨についてどう考えているか。
自分が亡くなったあと、どのようにしてほしいのか。

日常の会話の中で、特別なことではないように話してくれます。
そして口頭で話すだけではなく、その内容をノートにも残しています。
私はこれがとても大切なことだと思っています。

人の記憶は曖昧です。
いざというときに、「お母さん、前に何て言っていたっけ?」と、きょうだいそれぞれの記憶が違うこともあるかもしれません。

でも本人が書いたものが残っていれば、みんなで同じ内容を確認できます。
母の希望に沿って進めるためにも、口頭だけではなく記録として残してくれていることは、とても助かります。

娘の私が一番ありがたいと思っていること

母の終活を見ていて私が一番ありがたいと思うのは、財産や口座の場所が分かることだけではありません。
何かあったときに、母が何を望んでいたのか分からず困ることが少ないだろうと思えることです。

もちろん、母にはまだまだ元気でいてもらいたい。でも、高齢の親にはいつ何が起こるか分かりません。
突然入院することもあるでしょうし、自分で判断することが難しくなる可能性もあります。

そんなときに、家の中を探し回ったり、「どうしたらいいんだろう」ときょうだいで一から考えたりするのではなく「母はこうしたいと言っていた」というものが残っている。
これは、家族にとって大きな助けになります。

母が自分のことをオープンに話してくれる性格なのも、私にとってはありがたいことです。
お金のことも、病院のことも、亡くなったあとのことも、全て話してくれます。

親子でも聞きにくい話題はあります。
でも母の場合は、こちらから聞き出さなくても自分から話してくれる。

そのおかげで私は、親の老後について「何も分からない」という不安をあまり感じずに済んでいるのだと思います。

終活は、一度やれば終わりではない

一方で、母を見ていて思うこともあります。
それは、終活は一度決めたら終わりではないということです。

70歳のときに考えていたことと、80歳のときに考えることは違うかもしれません。

財産の状況も変わります。
健康状態も変わります。
家族の状況も変わります。
そして本人の気持ちも変わるでしょう。

一度ノートに書いたから終わり。
葬儀の希望を伝えたから終わり。
財産を整理したから終わり。

そうではなく、その時々の状況に合わせて、少しずつ見直していくものなのだと思います。
その点でも、母が「一冊のノートに記録し続ける」という方法は母に合っているのかもしれません。
何か変われば書き直す。
新しく必要になったことがあれば書き足す。

終活というより、自分の暮らしを整理し続けているという方が、母の場合は近い気がします。

それでも私が一つだけ気になっていること

ここまで母は、自分のことをかなり整理しています。
それでも娘の私には、一つだけ少し気になっていることがあります。
それが、相続です。

母は、「あなたたちきょうだいなら、相続で揉めることはないでしょう」と言います。
いかにも母らしい言葉だと思います。
母は昔から、基本的に人を疑うよりも信じる人です。
ただ、そんな母自身が、父親の相続では思いもよらない経験をしています。

母の兄は40代で亡くなっていました。
それから時が過ぎて祖父が亡くなった際、兄嫁から公正証書遺言があることを知らされました。
母にとって、その遺言の存在も内容も予想していなかったものでした。

大きく揉めたというわけではありません。
それでも、内容をそのまま受け入れることはできず、最終的に母は遺留分を請求することになりました。

その経験がある母でさえ、「自分の子どもたちは大丈夫」と思っています。
もちろん、私もきょうだいで財産を巡って争いたいとはまったく思いません。
むしろ一番避けたいのは、母の相続をきっかけに、きょうだいの関係にわだかまりが残ることです。

ただ、母の希望と、子どもそれぞれの考えが必ずしも一致するとは限りません。
同じ出来事でも、それぞれが感じることは違います。
誰かが「公平」と思っていても、別の人にはそう感じられないこともあるでしょう。
祖父の相続を経験した母を見ているからこそ、
「うちは大丈夫」と思っているだけで、本当に大丈夫なのだろうかと、私は時々考えます。

母は数年後に遺言書を書くと言っている

母は今のところ元気です。
そのため遺言書については、「もう少ししたら書く」と言っています。
2〜3年のうちには、自筆証書遺言を作るつもりのようです。

任意後見や家族信託、代理人に関する手続きなどについても、これから必要に応じて考えていくと言っています。
母自身に自分で考え、自分で決める力があるうちは、もちろん本人の意思を尊重したいと思っています。

認知症などで自分の財産を管理することが難しくなる前に考えられる方法として、家族信託などの制度もあります。

ただ、遺言書についてだけは、「本人に任せておけば、それで大丈夫なのかな」という気持ちが私にはあります。

祖父の相続では、公正証書遺言があっても、家族の中に納得できない思いが残りました。
だからこそ、「遺言書を書くこと」と「家族に遺恨を残さないこと」は、必ずしも同じではないのかもしれない。
そんなことを考えます。

この点については、母が実際に経験した祖父の相続と遺留分請求について、別の記事で詳しく書きたいと思います。

終活は「亡くなる準備」ではなく、今を整えること

母を見ていると、終活とは「死ぬための準備」ではないのだと思います。

自分の物を整理する。
お金を分かりやすくしておく。
大切な情報を記録する。
自分がどうしたいのかを家族に伝える。
そして、自分が元気なうちに、自分のことを自分で決めておく。

そのひとつひとつは、亡くなったあとのためだけではありません。
今の自分自身が暮らしやすくなることにもつながっています。
そして結果として、それが残される家族の負担を減らすことにもなります。

母は、特別に「終活をしています」と言ったことはありません。
ただ、親や叔母を見送り、さまざまな経験をする中で、自分のことを少しずつ整理してきました。

私はそんな母を見ながら、終活とは、人生の最後を準備することではなく、これからの自分の暮らしを整え、その思いを家族につないでおくことなのかもしれないと思っています。

まだ元気だから必要ない、ではなく。
元気な今だからこそ、できることがあります。

母がしてくれているように、まずは大切なことを一つの場所に書いておくことからでもいい。
終活は、そんな小さな一歩から始められるのだと思います。

この記事を書いた人

「ひとりだちノート」運営|元銀行員。
 
家計・資産づくり、親の見守りや暮らしのサポートを実体験から発信。
自分と親の「これから」を少し安心にするヒントをお届けします。

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